JOURNAL

HOHENBERGIA IN THE EARLY DAYS Pt.3/Atsushi Sato

2015.10.19

HOHENBERGIA IN THE EARLY DAYS/Atsushi Sato

Part 3
『The journey through Hohenbergia augusta -アウグスタを巡る旅-』

Part 2ではブラジル産ホヘンベルギアの仲間であるステラータが最初に園芸界に導入された経緯について迫ってみた。では、ステラータ以外の種はどうだろう。

ホヘンベルギア属の記載は185年前にさかのぼる[1]。当初の構成種は5種であったが、現在でも有効な種はステラータとカピタータのみである。ステラータが165年前に導入されたことを考えると、もう一方のカピタータもそれなりに栽培歴があるような気がするが、話はそれほど単純ではない。記載に使われた標本以外の個体が長い間見つからず、存在自体が疑われていたのである。そのため、様々な経緯を経てまた最初の名前に戻るまで、何と6つもの別名を与えられた。しかし、1995年に栽培下で開花した個体が本種の記載内容と合致したことで、実に180年ぶりの“再発見”となった[2]。このため、カピタータの栽培事例は文献中にはまったく見られない。また、1800年代に記載されたホヘンベルギアは他に7種あるが、アウグスタ以外の栽培事例が現れるのは比較的最近である。もちろん絶滅が疑われる種もいくつかある。そのため、Part 3では栽培事例のあるアウグスタを対象としつつ、Part 2で明らかにしたステラータのその後もあわせて追いかけてみたい。

そのアウグスタの記載年はカピタータに次いで古い1873年である。ただし、それ以前に異名同種がいくつか記載されている。最も古いアウグスタの異名同種はティランジア・アウグスタであり、『リオデジャネイロ植物誌』に記載された[3]。この植物誌は11分冊で刊行され、ティランジア・アウグスタは1829年刊行の第3分冊に線画として記載されている。なお、当初は線画のみで記載文がなかったが、50年以上の紆余曲折を経て1881年に第二版として完全な記載文が出版された[4]。この記載文を参照してみたが、本種の形態的な特徴のみの記述であり、栽培についての言及はなかった。
では、最も古いブロメリア専門書である『ブロメリア科植物』に何か情報はあるだろうか。オーストリア人植物学者ヨハン・ゲオルグ・ビーアが1857年にウィーンで出版した書籍である。ビーアは本書において、ティランジア・アウグスタをホプロフィタム・アウグスタムへ名称変更し、その説明の中で『リオデジャネイロ植物誌』のティランジア・アウグスタは線画のみで記載文を欠いていると述べている[5]。そのため、ホプロフィタム・アウグスタムの説明として、単に『リオデジャネイロ植物誌』のティランジア・アウグスタの線画から見て取れる形態的情報のみを記載している。よって、栽培についての情報は得られなかった。

次に1862年にベルギー人植物学者であるジャン・ジュール・ランダンが発行した植物販売用カタログを見てみよう。グズマニア・フラグランスが25フランで販売されている。カタログにあるグズマニア・フラグランスは最近、キュー植物園によってホヘンベルギア・アウグスタの異名同種とされた。カタログの説明文には「不鮮明な大理石模様のある葉-長さ2m、幅15-17cm-を着ける大型で豪華なブロメリア。花茎長2m、分枝多数、強い芳香のある多数の白色花」とある[6]。植物販売用のカタログの説明文であり、開花状態についても述べられていることから、本種が栽培されていたことは明らかである。栽培地はおそらくカタログの刊行地であるブリュッセルだろう。ちなみに、このカタログから34年後にフランス語による最初のブロメリア書『ブロメリア科植物』が刊行された[7]。その売価が2フランであったことから推測すると、この時のグズマニア・フラグランスはかなり高額であったと思われる。

1881年の『園芸学レヴュー』において、今ではホヘンベルギア・アウグスタの異名同種となっているホヘンベルギア・フェルジネアが紹介されている。「本種(フェルジネアのこと)は、おそらく今までフランスでの開花例はなく-ちょうどリュクサンブール宮殿内の元老院の温室で開花中であるが-幾つかのコレクションにおいてニデゥラリウム・フラグランスやグズマニア・マキュラータの名で目にすることがある」とのことである[8]。『園芸学レヴュー』では、ランダンのグズマニア・フラグランスがニデゥラリウム・フラグランスとグズマニア・マキュラータに混同されているようだが、いずれにしても1881年にはパリで初開花したようだ。『園芸学レヴュー』のフェルジネア図を見ると、ランダン言うところの「不鮮明な大理石模様のある葉」がうっすらと確認できる。

ホヘンベルギア・アウグスタとして専門家が図譜なり写真なりを示した例は多くないが、図譜は『ブロメリア科植物とマラリアの地域特異性』[9]、白黒写真は『ブロメリア事典』[10]、カラー写真は『エスピリトサント州のブロメリア』[11]の論文に確認できる。いずれもグズマニア・フラグランスやホヘンベルギア・フェルジネアのように「不鮮明な大理石模様のある葉」が見える。

話はそれるが、キュー植物園はブラジル産ブロメリアの大家であるエルトン・レメが提唱したエドムンドア属[12]を認めず、旧名のカニストラム・リンデニーを採用し続けている。しかも、それらをアウグスタの異名同種としてしまった[13]。確かにエドムンドア(カニストラム)・リンデニーの葉に模様はあるが、いくらなんでもアウグスタの異名同種とするには無理があるだろう。皆さんはどうお感じだろうか。

アウグスタについて調べるなら、モレンが編集し1873年に出版されたリエージュ大学植物園のブロメリアカタログをぜひとも見てみたい。ティランジア・アウグスタをホヘンベルギアに変更した重要な文献である。リエージュ大学から送ってもらった画像をなめるように読み進めると、確かにアウグスタとエリスロスタキス(ステラータ)の名があった[14]。このことから、1873年にはリエージュでこれら2種が栽培されていたことが分かった。なお、後に植物園の管理者になったシェヴァリエ親子が編集した1943年発行のブロメリアカタログには、ウィットマッキオプシス亜属は4種類が追加されているものの、ホヘンベルギア亜属はアウグスタとステラータ2種のままである[15]。70年たってもリエージュでは他種の導入が進まなかったことがうかがえる。

最後にその他の手持ち資料も見てみよう。1884年にスウェーデンで出版された研究書『ブロメリア科植物の葉身における解剖学的-生理学的所見』には、「この研究で用いた材料はルンド、コペンハーゲンそしてヨーテボリの温室から入手した…」とある[16]。同書ではエリスロスタキス(ステラータ)が扱われていることから、1884年までにスウェーデンかデンマークでステラータが栽培されていたことが分かった。

1894年出版のライデン大学植物園で栽培されていたブロメリアカタログにはアウグスタ、エリスロスタキス(ステラータ)が掲載されている[17]。このことから19世紀後半のオランダで2種が栽培されていたことが分かった。序文によると、この版は第二版であり、5年前に出版された初版にリエージュ、ベルリン、サンクトペテルブルクなどから導入した多種を加えて編集したとのこと。よって、この2種はリエージュ大学由来の可能性が高い。ただし、初版は確認できなかったので、5年前から既に2種が栽培されていたか不明である。

さらに1896年発行のドイツ人植物学者カール・メズによる大著『種子植物モノグラフ』を詳しく見たところ、彼が2種の栽培個体を観察していたこと、その他は乾燥標本しか目にしていないことが判明した。これによるとリエージュとヴロツワフ(ポーランド)でアウグスタの栽培個体を、イギリスのキュー植物園とヴロツワフでステラータの栽培個体を実見している[18]。リエージュ大学の教授から得た情報によると、メズがリエージュで見た個体はリエージュ大学の栽培個体に間違いなく、それはモレンのコレクションであるとのこと。1873年にモレンが栽培していた個体(の後代)かもしれない。また、ヴロツワフ大学植物園の担当者に聞いてみたところ、メズは1890年から1892年まで同大で講師をしていたことが判明した。よって遅くとも1892年に両種が栽培されていたことになる。一方、メズがキュー植物園でステラータを見た時期は不明だが、もしかすると1863年に開花した個体(の後代)(Part 2参照)かもしれない。

以上を整理すると、1850年のパリでステラータが(Part 2参照)、1862年のおそらくブリュッセルでアウグスタが、1863年のロンドンでステラータが(Part 2参照)、1873年のリエージュでアウグスタとステラータが、1884年以前のルンド、コペンハーゲンまたはヨーテボリでステラータが、1892年以前のヴロツワフでアウグスタとステラータが、1894年のライデンでアウグスタとステラータが栽培されていたようだ。ちなみに、『ブロメリアハンドブック』の著者であるベイカーは、1879年に発表した論文において「それ(アウグスタのこと)をイングランドでは見たことがない」と言っている[19]。よって、アウグスタがイギリスに導入されたのは1879年以後であろう。



>>>>Continue to the next part Part 4/The story goes to USA –舞台はアメリカへ-



[1] Schultes, J.A. & Schultes, J.H. (1830) Sys. Veg. 7: 1251-1252.
[2] Leme, E.M.C. (2010) J. Brom. Soc. 60: 151-157.
[3] Vellozo, J.M.C. (1829) Fl. Flumin. 3: pl. 135.
[4] Vellozo, J.M.C. (1881) Arch. Mus. Nac. Rio de Janeiro 5: 125-130.
[5] Beer, J.G. (1857) Fam. Bromel. 272 pp.
[6] Linden, J.J. (1862) Cat. Pl. Exot. (Linden) 17: 4.
[7] Duval, L (1896) Les Bromeliacées. 148 pp.
[8] Carrière, E.-A. (1881) Rev. Hort. 53: 437.
[9] Reitz, R. (1983) Bromel. e a Malária-Brom. endêm. 559 pp.
[10] Rauh, W. (1990) The Bromeliad lexicon. 431 pp.
[11] Wendt, T. et al. (2010) Bol. Mus. Biol. Mello Leitão 27: 21-­53.
[12] Leme, E.M.C. (1997) Canistrum – Brom. Atl. Forest. 107 pp.
[13] http://apps.kew.org/wcsp/synonomy.do?name_id=249087
[14] Morren, E. (1873) Cat. Brom. cult. Jar. Bot. Univ. Liège. 17 pp.
[15] Chevalier, C. & Chevalier, C.f. (1943) Cat. Brom. Coll. bot. syst. Univ. Liège. 125 pp.
[16] Cedervall, E.V. (1884) Anat.-physiol. undersökn. Bromel. 56 pp.
[17] Suringar, W.F.R. (1894) Cat. Brom. cult. Jar. Bot. Univ. Leide. 68 pp.
[18] Mez, C. (1896) Monogr. Phan. [A.DC. & C.DC.] 9: 990 pp.
[19] Baker, J.G. (1879) J. Bot. 17: 161-168.




T.augusta_FF

『リオデジャネイロ植物誌』第3分冊に掲載されたティランジア・アウグスタの線画/パリで印刷された本冊がブラジルに届いたのは1829年と言われている。線画は無彩色のため、生体の色はうかがい知れない。完全な解説文は紆余曲折の末、50年以上後に出版された。
ミズーリ植物園蔵(Missouri Botanical Garden)




H.augusta_RH

1881年の『園芸学レヴュー』に掲載されたホヘンベルギア・フェルジネアの図/1862年に発行されたランダンの販売用カタログに掲載されたグズマニア・フラグランスと同種とされ、今日では両種ともホヘンベルギア・アウグスタの異名同種とされている。
フランス国立図書館蔵 (Gallica-Bibliothèque numérique)




H.augusta_Reitz

『ブロメリア科植物とマラリアの地域特異性』に掲載されたホヘンベルギア・アウグスタの図/南限であるサンタカタリーナ州に分布する唯一の種であり、他に5州での分布が確認されている。




Catal. Brom. 01b

リエージュ大学植物園のブロメリアカタログの扉絵/まったく目にすることがない貴重な文献であるが、同大学の好意でコピーを得ることができた。本書でティランジア・アウグスタがホヘンベルギアに移された。なお、植物名が羅列されているだけで図はない。
リエージュ大学植物園蔵(Courtesy of Joseph Beaujean, Collections Institut de Botanique de L’Université de Liège)




C.eburneum_BH

『ベルギーの園芸』に掲載されたカニストラム・エバーネウムの図/1878年の『ベルギーの園芸』で記載され、図は翌年号に掲載された。カニストラム・リンデニーの異名同種とされているが、キュー植物園によってさらにホヘンベルギア・アウグスタの異名同種とされてしまった。